令和5年春。3年半ほどの在任期間を終え、入手 喬(いりて・たかし)前館長が退任しました。
6月、正式に新館長に就任した阿部和広(あべ・かずひろ)と、新副館長に就任した山本江里子(やまもと・えりこ)との対談の様子をお届けします。
街の中での、ひの社会教育センターの立ち位置
阿部
館長として運営して頂いたのはここ数年ですが、最初にひの社会教育センター(以下、センター)を知ったのはいつ頃ですか?
入手
(前職の日野市職員として)働き始めた頃の20代、センターが開館した約50年前です。
当時、日野市は「青年講座」をセンターに委託して、その担当だった梅﨑さん(前みなみだいら児童館館長)から声を掛けられたことがはじまり。集団就職などで、地方から東京に来た若者が街にたくさん居た時代、そうした働く青年たちをひとりぼっちにしない、という目的で運営していた事業でした。
阿部
今でいうユース活動の先駆けですね。具体的にはどのような活動だったのでしょうか。
入手
イベントや勉強会、特に興味のあることについては「〇〇研究会」などを立ち上げ、サークル化したり、とにかく若者たちが集まっていました。
阿部
移転前のセンターには結婚式場、宿泊場所など、高度経済成長期の青年たちに必要なハード面が整えられていました。生活の一部になるように位置づいていたのかな?と思います。
入手
青年事業の中で若者とぶつかることもあったけれど、一緒に飲み食いする中で信頼を築いていくことがよくありました。八ヶ岳の大成荘(木造)で合宿したのも楽しい思い出です。
阿部
センターのボランティアリーダーたちとの付き合い方も、どこまで仕事で、どこから人としての付き合い?というジレンマはずっとあります。時代と共に、コミュニケーションツールは増えてきても、やはり今も顔を合わせて付き合う、じっくりと時間をかけるという部分は変わらないのかなと感じます。
入手
どこからでも参加できたので、他市で勤めていても、ここでの活動を自分の拠点の方へ持ち帰り活動を広げていった人も多いです。
時代が移り、集団就職も終わり、社会的に仲間を必要とするところから、地域に住んでいる人たちが来る場所へと変わっていきました。
阿部
今、また企業などで必要とされているつながりかもしれないですね。
コロナ禍は、生活の中で何を大切にするのか、ということを突き付けられている3年間だった気がします。ただ会社に行けばいい、ということでは価値を見出せなくなってきたように思います。
入手
インターネット社会の発展で、人間活動が変化した点で当時とは違いますね。
阿部
取り組むテーマは50年経ってもあまり変わっていないのかもしれません。「人と、どうするか」というテーマが、ずっとセンターが離れず持っているテーマかな、と。
私自身、ボランティアリーダーとして関わり始めてからは30年近くになりますが、田舎から出てきた自分が、当時あまり知り合いもなく、でもここに来ると田舎っぽい居心地の良さを感じていました。
これからのセンターに期待すること
入手
センターの成り立ちを語るときに外せない岩崎先生(開館当初の館長)が、当時あちこちに手を打ってくださったおかげで、様々な分野の専門家の方々がセンターのことを気にしてくださり、講座に立ってくださったりもしました。
阿部
おかげ様で、今も大学の先生や研究者の方が理事や評議員、講座の講師として関わってくれています。方向性が同じであればこそ、やり続けて下さっているのかなと思いますが、すごく心強いです。
山本
これからのセンターの役割を考えるとき、日野市にはひとつしか公民館がなかったため、これまでも公民館的役割があったかな、と思いますが、日野市全体として捉えるとどう思いますか?
入手
公民館、センター共に、それぞれの歴史の中で、社会教育施設として市民の文化的活動や学びを底上げしてきたと感じます。
阿部
日野市は市民活動が活発で、文化レベルが高いとずっと言われてきていますよね。
山本
これからも学びの意欲、学びの下支えが出来るような場所として、市民活動など湧き上がってきたものを紹介していくようなことが出来たらいいなと考えています。
阿部
動き出すまでの働きがけをしながら、主体性のある活動がたくさん生み出されるように伴走していきたいです。
山本
人生100歳時代に入ったと言われ始め、毎日行ける場所があるといいなと思います。
「きょういく・きょうよう」が必要と言われています、これは、「教育・教養」と「今日行く・今日用(用事がある)」のダブルミーニング。人生の彩り、人と関わる場所を作り出す仕事としてやり続けていきたいと考えます。
地域に小さい文化活動が出来る場所として、日野市は50年前に地区センターを作ったのではないでしょうか。団塊の世代が後期高齢者になった今、地域の活用方法を一緒に考えていきたいです。
阿部
老朽化が問題となっている施設と、そうした地域に溢れる人の力とを併せて、どういうプログラムを考えていくか、活路が見えてくるかな、と思います。
山本
センターのデンマークツアーで訪れたカルチャーハウスは、地域の公民館的施設で、たった一人のスタッフで、週2日だけ開館し運営していました。地域の人から開館日以外にも使用申請があれば開放し、地域の人のアイデアや力を借り、一緒に楽しんで作っている、というヒントが盛りだくさんの施設でした。
阿部
参加型だけど、どう世代間の意見の違いを取り入れて実現させていくか、対話で融合させて、両者の良いとこどりをして、新しい形を生み出していくことが必要だと思います。
入手
ひの社会教育センターがデンマーク研修など福祉教育分野にも事業を広げ、センターの活動に厚みが加わっています。
また、センターが増えつつある後期高齢者の能力や経験を活かし、生き生きと活躍できる場面をたくさん作っていけるといいですね。
ひの社会教育センターが日野市の中で、どのように育ってきたか、時に遠くから、時にとても密接にずっと見守ってきてくださった入手前館長。多くの社会課題との向き合い方を、指南してくださいました。
3年半、ありがとうございました。